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金魚が我が家に仲間入りしました [つれづれ]

先日、我が家が生息している区のお祭りがあったので、
もえ達と3人で行ってきました(夫は仕事)。
そのお祭りで珍しく金魚すくいをやっているのを発見。
夏休みに実家に帰省中にやった金魚すくいが楽しかったのを子供達が覚えていて、
「やりたい!」と言われ、二人にやらせることにしました。
あゆは、自分は出来ないとわかっているので、もえに自分の分を託したようです。
(あゆの友達が大勢一緒だったので、お金だけ渡して子供達だけで行かせました)
でも、久々だったので上手く出来ず、1匹もすくえなかったんですが、
すくえなくても1匹はくれるシステムだったので「ママ、貰ったよ~」と言いながら
私に見せたのが・・・なんと、2匹とも黒い出目金。
残念賞で黒の、しかも出目金をもらえるなんて珍しいでしょ?
ところが、もえは普通の赤い金魚が欲しかったようで、
「もう1回やらせて!今度は赤い金魚を貰ってくるから」
(↑ハナからすくうつもりはないらしい)
と言うので、久々の外出だしと思い、お金を渡すと、2匹、赤い金魚をすくってきちゃいました。
黒の出目金と合わせて計4匹。
うちには水槽なんて、ありません。
それに、こういう屋台の金魚すくいの金魚って、すぐに死んでしまうので、水槽なんて買ったらもったいない。
というわけで、100円ショップで小さい虫かごと金魚のエサだけ買って帰りました。
近所には魚系を扱うペットショップはなし。
なので、虫かごには金魚と水しか入ってません。水草も・・・なし。
それなのに、なぜかとても元気な金魚達。
状況を説明すると、実家の母が勢いで水槽セットを買ってきたので、それまでの我慢です。
いや、その水槽セットが届くまで生きてて~(>_<)

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初・(出産以外で)入院(2~3日目)

さて、前回、急性気管支炎によって呼吸困難になり、救急車を自ら呼んで入院した私。
「今夜は入院されがほうが・・・」というドクターのすすめもあり、とりあえず病院にお泊り。
気管支を広げる点滴などのせいもあり、眠れぬ夜を救急病棟のベッドで過ごしました。

夜が明け、呼吸もだいぶ楽になり病室の様子を観察する余裕も出てきたんですが・・・。

見えない!世界がぼやけている!

それもそのはず、夜中に使い捨てのコンタクトレンズを外してしまっていたからです。
前夜、貴重品は救急病棟には置いておけないので、夫が私の荷物をすべて持ち帰ってしまった事もあり、
メガネもない。
夕べはよく見えた看護師さんの顔もサッパリです。
夫が午前中に来るはずなので、その時にメガネを持って来てと頼みたいが、当然、携帯もない・・・。
夕べから歯磨きも出来てないから、口の中も気持ち悪い。
でも、歯ブラシを売店に買いに行くのにお金もない。
朝ごはんが運ばれてきたが、食べ物の色とお皿の大きさぐらいしか分からない。
当然、お箸なんぞもないんで、看護師さんが私物の割り箸を寄付してくれました。

「はぁ~」と溜息をついていると、「レントゲン、もう1回撮影しますね」と看護師さん。
車椅子に乗せられて、レントゲン室に連れていかれるのかと思いきや・・・。
なんと、病室にやって来たのは、巨大なアームの形をした移動式のレントゲン撮影マシーン!!
「うぉ~、ハイテク~!ちゃんと見たかった!」と思いながら、厚い板を背中とベッドの間に挟み、あっという間に撮影。

「最近の病院はハイテクやな~」と感心していると、夫が子供達を連れてやってきた。
昨日、私が持っていたバッグを持参したものの、めがねは当然なし。
救急病棟は基本的に子供は入室禁止なので、バッグを置き、ドクターに「もう1日様子を見たほうが安心ですよ」と言われたため、もう1泊する事を決め、とっとと帰ってしまいました。
(その後、子供達を連れて「すき家」に行ったそうな)
でもま、とりあえずお財布を入手したので、看護師さんに頼んで車椅子でコンビニに連れていってもらいました。
あ、もちろん、鼻に酸素チューブ入れたまんまです。
コンビニに行っても、何が何やら分からないので、看護師さんに事情を話し、歯ブラシと歯磨き粉の目の前まで連れてってもらったことは言うまでもありません、

午後、私は一般病棟へ移されました。
視界はぼやけまくっているので、自分がどこに移されたのかはサッパリ。
運ばれてくるご飯も、目を細めて「これは何?」と観察してから食べてました。
あんまり食欲がなかったので、毎回残してたら2日目の夜からは量をがっつり減らされちゃった。
ここでようやく、実家へメールで連絡。
実家は弟も含め、一時パニックになったようで、私の入院が長引くようなら、子供たちを滋賀の実家でしばらく預かる算段までしていたらしいです。
(ダンナよ、どんな情報の伝え方をしたのだ・・・)
実家への帰省の日程がずれたこと、心配かけたことを詫び、医師に確認してOKが出れば、滋賀に帰省して静養する事も決めました。
(実は、2日目の段階では医師に「それはおススメできない」と言われてたんです)

3日目、医師と本日午前中に退院する事を決め、今後の治療方針を決めました。
滋賀へ帰省するために新幹線に乗ることも、今回は「マスクはしてね」との条件つきでOKが出ました。
11時ごろ、夫と子供達が迎えに来てくれました。
あいにく、その日の天気は雨。肌寒い日。
が、その日、夫が持って来てくれたのは薄手のカーディガンのみ。
当然、メガネはありません。
何も見えず、冷たい雨が降るなか、薄手の長袖Tシャツにカーディガンを羽織り、バスと電車を乗り継いで自宅に帰りました。

ちなみに、今回は救急搬送だったので、主治医がいませんでした。
救命救急のドクター達がチームとなって対応してくれたので、毎回会いに来るドクターが違い、たまにドクターによって言う事が違うんで困ってしまいました。

あれからもう半年以上が経ちましたが、子供達にはとってもワクワク体験だったようで、町を走る救急車を見ては「ママ、あれ乗ったよね。また乗りた~い!」と今でも言われます(涙)

2年ぶり!お台場に行ってきました [お出かけ]

1週間前の日曜日、久々にお台場のフジテレビのイベント、「お台場合衆国」に行ってきました。
新橋からゆりかもめに乗り、東京タワーとスカイツリーを交互に眺めながら、お台場へ。
前回は「お台場冒険王ファイナル」。2年前かな。ちょうど27時間テレビの初日でした。
今回は、27時間テレビの2日目。
前回ほど人出がなく、子供達も大きくなっていたので動きやすかったです。
入場料は大人1500円。
テレビでよく紹介されている「めちゃリゾートハワイアン」などは、入場料を払わないと入れないスペースにあります。
我が家の場合・・・到着したのが既に11時半で・・・。
夫が「入場料払うなら、朝から居たかった~!」と言うので、無料で入れる所をウロウロしてきました。
それでも、割と楽しめるんですよ♪
毎朝、高橋アナウンサーが歌を歌ってるステージは無料エリアにあるし。
私達が行った時は、「ニュースジャパン」(だったけな?)のメインキャスターとそのあとの番組を担当しているアナウンサーが司会で、「まるまるもりもり選手権」やってました。「マルモのおきて」のあのダンスをステージで踊って、一番良かった人には、芦田愛菜ちゃんと鈴木福君のサインいり表彰状がもらえました。
もちろん、我が家は参加する気ゼロでしたが(^^ゞ
食べるのも、決して安くはないけど軽食などを買って食べる事が出来ます。
お台場合衆国をそれなりに堪能した後は、あゆのリクエストにより、ビーナスフォートにある観覧車へ。
その後、お台場をあとにしました。
が、せっかく久々に家族で遠出してるんで、このまま帰るのはもったいない!

というわけで、新橋まで戻り、汐留の日テレのイベントをハシゴ。
前回来た時は無料のゲームがいっぱいだったんですが、今回は300円とか、有料のものが多かったです。
嵐の大野君が扮している「怪物くん」の巨大滑り台が無料で楽しめたんですが、
90分待ち!
「待てるもん~!」と言い張るもえを説得し、とりあえず一通り見て回ってみました。
日テレのイベントは、どのスペースもとりあえず無料で入れます。

ここまで歩きに歩きまくって、さすがに親もお疲れ。
小腹も空いたので、マックで親はバーガーのセットを、子供達はマックフルーリーをそれぞれ食べ、
翌日も朝早くからパパが出勤のため、夕方5時をもって、今回のお出かけは終了しました。

いや~、疲れた!

suicaホルダー [手作り]

手作りの品をご紹介するのは久々・・・ですね(汗)。
作ってないわけではないんですよ。
あゆの通園バッグとか入園グッズを、春ごろは色々作ってました。
でも、ちょうど忙しくてご紹介するチャンスを逸してしまいました。
それに、もえが学校で使う雑巾を紹介してもね・・・(^^ゞ

で、今回、久々に手作りしたんです。
ちょうどもえが小学生になり、電車やバスに乗るのに、小児運賃が必要になりまして・・・。
いちいちもえの為に小銭を用意するのも面倒なので、子供用スイカを購入。
ですが、もえの性格上、もえに持たせて外出すると、ぜーーーーったい、どっかに落としちゃう。
パスケースに入れるだけでは物足りない!
外出時、バッグを持ち歩くクセが付いていないので、なおさらのこと。
そこで、色々と条件を出し、それに合う物を探しました。
ロフトや雑貨店など。。。
でも、見つかりません。
会社員さんなんかが使うIDケースも検討したんですが、高い!ケースとストラップ合わせて3000円ぐらいしちゃう。
「ならば作っちゃえ!」ってんで、作っちゃいました。

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条件その1 首から下げられること。そのまま改札をぴぴっと通過できること。
条件その2 カードがホルダーから落ちないように、入れ口を閉じられること。

手持ちの端切れをパッチワークし、綿テープを手芸店で購入。
ベースには、無印良品のPPパスケース(230円ぐらいかな)を使用しました。
裏面にはアクセントで生成りレースを1本、つけました。
入れ口はスナップボタンで閉じてあり、チャージする時などは簡単に取り出せます。
PPパスケースは、ずっと前にノベルティで頂いた物なので、出費は綿テープ代ぐらい。
安く出来ました♪

12度目の結婚記念日・・・でした~ [今日の出来事]

先日、私と夫の12回目の結婚記念日でした。
で、昨日、ちょうど夫が休みだったので、家族揃ってお祝いをする事に。
皆でケーキ屋さんに行ったんですけど、私は昨年同様、
それぞれが好きなショートケーキを4つ、買うつもりだったんです。
が、店内に入ると夫はショートケーキは無視し、ホールケーキのコーナーへ。
「やっぱ、お祝いするならコレでしょ。これなんかどう?季節限定だってさ」
と指差したのが、コレ。

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子供達は「プリンが乗ってる~!」とはしゃぐし・・・。
私の希望を挟むことなく、これに決定。
晩御飯の後、皆で食べました。
まぁ、あゆは「けっこんきねんび?パパとママ、けっこん?これ、あゆのたんじょうびけーきだよね?」
なんて申しておりましたが(^^ゞ
(ちなみに、あゆの誕生日は来月です)

結婚して12年。干支が一回りしちゃいました。
すっかり夫は「家族」になってしまいました。
12年目の1年間は、家を買って引っ越したり、義両親との同居騒動があり、
子供達の入園や入学、果ては私の救急車事件があり・・・と、お腹いっぱい。
今、思い返せば笑い話ですけどね(汗)。
12年は、速いです。
でも、たかが12年、されど12年。
夫も私も、よい意味で大人になりました。
夫婦ともども、アラフォーになったしね。
もちろん、ケンカもいっぱいしたし、「離婚」の2文字が浮かんだこともあります。
それでも夫婦を続けてこられたのは・・・何なんでしょうねぇぇぇ???
「愛」は「愛」だと思うんだけど、ここ何年、特に子供が生まれてからは、
「家族愛」な気がします。
トキメキなんて、もうないけど、「家族愛」も、結構、心地良いもんですね(*^_^*)

初・(出産以外で)入院(1日目) [事件です!]

見事、救急車でとある病院に運ばれた私。
病院に着いた頃には、呼吸困難の症状は酸素吸入のおかげでだいぶ治まってました(^^ゞ
「ご家族に病院に来てもらえますか?」と病院スタッフに言われ、夫に電話することに。
仕事中だったけど電話に出れた夫に「どこの病院?」と聞かれ、答えられない私。
いや、だって、同じ区内だけど全然分からないエリアの大病院だったので、
ドクターに「ここ、どこですか?」と聞く始末。
夫に伝えると、「9時過ぎにしかオフィスを出られない。病院着は10時ごろ」と言われ、
それをドクターに伝えると「妻が緊急搬送されてるのに、すぐに駆けつけないの?」と呆れた視線を返されました。
まあ、夫の仕事柄仕方ない事なので、とりあえず処置室で治療開始。
子供は処置室に入れないため、娘たちは外の廊下のベンチで待機。
病院の事務スタッフさんや看護師さん、手の空いているドクターが時々声をかけてくれていたようです。
さて、問題は私。
原因は喘息の発作だと思って、ドクターにもそう主張したんですが、どうやら違うようで・・・。
というわけで、問診、レントゲン、血液検査のための採血をやられました。
レントゲン室に車椅子で移動する時、廊下で待つ娘たちとすれ違いました。
時間ももう遅かった(夜9時ぐらい・・・かな)ので、あゆはもえの膝枕で寝ておりました。
そして、処置室に戻り、レントゲン写真見ながら、何やら分厚いマニュアル本みたいのを片手に、ドクター数人がヒソヒソ相談。
「何々?何かマズイことでもある??」と浅い呼吸しながら不安がる私。
「じゃ、これ、吸入してみて」と薬剤部からエアトンネルで取り寄せた吸入薬を吸入してみました。
で、「どう?楽になった?」と聞かれ、「ちょっとだけ・・」と私。
そのあたりでようやく、病名にオチが着いたらしい。
10時ごろに病院に着いた夫に告げた病名は「急性気管支炎」でした。
もともと喘息のために気管支が弱い私。
今年に入って本当に忙しくしていて疲れ気味&地震のストレスで抵抗力が弱まっていたところへ、風邪ウイルスが体に入り、敏感な気管支がそれに反応して呼吸困難を引き起こした・・・とのこと。
ドクターが夫に、「今夜、どうされますか?帰宅は可能ですが、寝たきり安静が必要で、多分、家の事は何も出来ないと思います。医師としても、今夜は入院をお勧めします」と言われ、夫と相談して入院決定。
ジーンズにTシャツ姿だったけど、1泊だけだしと、有料の病院パジャマはお断りしました。
貴重品は置いておけないので、携帯も含め、すべて夫がお持ち帰り。
実家の両親には救急車で運ばれたことは告げておらず、翌日、帰省する事になっているままだったので、夫に連絡を頼みました。
その後、私は救命救急病棟へ移されました。
そこは6人部屋で、私以外は、ほぼ、高齢の女性ばかり。
彼女達の寝言、イビキが気になり、ほとんど眠れず。
しかも、点滴も色々しているので、膀胱炎じゃないけど膀胱炎みたいに、常にトイレに行きたい気分。
寝てるとウズウズして気持ち悪いので、上半身を起こし、夜を明かすことにしました。
朝からしていたコンタクトのせいで目がカピカピだったので、メガネを持ってないけど、コンタクトを外し裸眼に。
何も見えません・・・(涙)
歩くのはまだ辛い状態なので、歯も磨けず(歯ブラシなんてもちろん持ってなかったけど)。
不幸中の幸いは、朝からノーメイクだったので、顔を洗えなくてもべたつきが少なかったこと・・。
で、あまりにも暇なので、翌月に予定していた入園式での祝辞(PTA副会長だったので)を、なんとなく考えてました。
「早く夜が明けないかなぁ~」と思いつつ・・・。

初・救急車 [事件です!]

こんばんは。
ご無沙汰でしたm(__)m
先月は、子供達の学校や幼稚園がらみで忙しくしてました。

で、今日のネタは3月の話でタイムリーではないんですが、聞いてください。
子供達の入園・入学ネタもあるんですが、私的にそれを上回る事件があったので・・。

実は私、3月の地震の1週間後、緊急入院したんです。
前日は、もえの卒園式でした。
卒園式の前日ごろにあゆに風邪をうつされて鼻水ダラダラ。「参ったなぁ、明日、卒園式なのに」と憂鬱でした。
でも、卒園式当日は体調も良く、風邪は治ったと思ったんです。

が、その翌日。
朝から少し呼吸が苦しい。喘息持ちの私は、また発作かと思い、すぐさまかかりつけの病院に行きました。
そこでは特に治療行為はなく、いつもの咳を楽にする薬や気管支拡張剤を貰いました。
お昼前に帰宅して、夫は出勤直前。
呼吸がどんどん辛くなるので、夫にお昼ご飯を用意してもらいました。
この時点では、薬を飲めば楽になると思ったんです。
午後。処方薬は飲んだし、発作時の薬も飲んだ(と言うか、吸った)のに効果がないので、かかりつけの病院に電話。
が、その日は土曜で、診療は午前のみ。ドクターは既に帰宅したあとでした。
電話に出た事務の方が、休日診療の病院を紹介してくれるセンターの電話番号を教えてくれ、
そこに電話。運良く見つかり、タクシーを呼んで、夫もいないので子供達を連れて行きました。
そこでは咳を止める注射(←肩にしたが、すごい痛かった)と気管支拡張の点滴、薬の処方をしてもらいました。
それで随分楽になり、夕方、帰宅。
母にも電話で「もう大丈夫だから」と報告。
でもでもでもでも!その後から、また呼吸が困難になり始めました。
再び発作時の薬を吸入。でも、いっこうに楽にならない。この発作時用の薬は、1日2回しか吸入できず、既に今日は2回、吸入済み。
呼吸はもう、素人が高地でマラソントレーニングした後のような状態で、声もまともに出ない。
私の頭の中を、「もえの小学校入学式やあゆの幼稚園入園式、その姿を見られないかも」とまで思うようになりました。
で、ずっと迷ってたけれど、救急車を呼ぶことを決意。
仕事中の夫に携帯で「今から救急車呼ぶから」とメールし、電話。
喘ぎながら、現状を伝えました。
コールセンターの人に「どなたか付き添いの方はいらっしゃいますか?」と聞かれ、「いません。その代わり、小さい子供が2人います」と私。
「上のお子さんは頼りになりますか?」とまた聞かれ、私、「・・・」と答えられず(汗)。
「とりあえず、救急隊が来たら、玄関のドアの鍵を開けてください」と言われ、電話を切った後、もえに玄関ドアの鍵を開けるように、必死の形相で指示。
ちなみに、この時、子供達は晩御飯を食べておりました・・・。

電話して10分後、救急隊が到着。幼い子供2人がいるからか、救急隊員4人全員が家に来ました。
部屋に入った瞬間、散らかりまくった部屋とパジャマ姿で食事中の子供達を見て、「ありゃ~」と救急隊員。
でも、すぐさま子供達を「外は寒いから」と普段着に着替えさせてくれ(もえは自分で着替えたけど)、
戸締り、保険証や今日貰った薬など荷物の確認をしてくれ、電気を消してもらい、玄関ドアの鍵も閉めてもらい、救急車へ。
しかし、なかなか搬送先が見つからない。家に近い病院から連絡を取ってくれるんですが、当直が消化器専門のドクターだったり、手一杯で受け入れ不可だったり・・・。
15分ぐらい、救急車の中で鼻チューブで酸素を入れながら待ってました。
子供達はと言うと、隊員からミニカーやシールを貰い、初めての救急車に興味津々。とっても楽しそうでした。
酸素を入れるとだいぶ楽になり、搬送先が決まった頃には、喘ぐこともなくなりました。
でも、一応、救急患者。
搬送先の病院まで、サイレン鳴らし、赤信号なんのその、一般車を押しのけ、救急車は走ります。
その様子を車内で体験し、「私、そこまで瀕死じゃないのよ~。ごめんなさい~」と思ってました。
子供達は・・・「速いね~」「止まらないね~」とはしゃぎ、隊員と世間話しておりました。
ようやく、病院に到着。
病院名も場所も分からず不安でしたが、まさか「ここ、どこですか?」なんて呼吸困難の状態で聞くわけにもいかず・・・。
そのまま、処置室へ運ばれ、私の初めての救急車体験は終わったのでした。

この先のお話は、また今度。

二度目の大地震体験 [事件です!]

こんばんは。

ホント、事件ですよ。
16年前、阪神大震災を体験し、「大震災は怖い。もういやだ」と思っていたのに。。。
阪神大震災の時は兵庫の震源地にはおらず、実家のある滋賀で体験はしたのですが、
それでも震度4。
当時、大阪の大学に通っていて、大阪駅も混乱してました。

しかし、今回はそれを上回る震度5。
11日、ちょうど自宅近くの友人宅に遊びに行っていて、そろそろ帰宅しようと思い、
玄関前の道路脇で友人に挨拶をしていたところだったんです。
「じゃあね」と言おうとした時、なんだか体が揺れていることに気が付き・・。
友人も「ねぇ、何か揺れてない?」と言い・・・。
「地震?」と話しているうちに揺れが激しくなり、電線やら道路標識やらが左右に揺れ・・・。
「ねぇ、ヤバイよ!大きいよ!」と友人と話している間にも、揺れはひどくなります。
家の中に居た友人の子供(=もえの友達)を外に呼び出し、
家の塀などが倒れると危ないので、近くの空き地へ。
直下型にありがちな衝撃は何もなく、突然左右に大きく揺れたため、
正直、気付くのに時間がかかりました。
突然、遊園地のバイキングに立って乗せられた感じです。
最初の揺れが収まるまで、結構時間がかかりました。
その間、私は阪神大震災を思い出し、心臓バクバク。
すぐに停電になり、最初に揺れが収まってから帰宅した私と子供達は、
電気が復旧する21時ごろまで、小さな懐中電灯と読書ライトで部屋を照らし、
3人でソファに固まって余震におびえて時間を過ごしました。
当然、電話(固定も携帯も)は一切つながらず。
21時ごろから電話が通じだし、Iモードも復旧。
心配していた実家の面々から、それぞれメールが来ていて、「無事だよ」と返事。
夫からも「今から、なんとかして帰る」という連絡がありました。
がしかし、JRはその日は運行再開の予定なし。
あわや帰宅難民・・・でしたが、幸い、マイカーを持っている同僚が近くまで送ってくれました。
ちなみに、夫のオフィスがあったエリアは停電せず、ネットも平気だったので、
地震の情報はばっちりだったようです。
ホント、今でもドキドキします。
もう、いやだ・・・。

お久しぶりです [つれづれ]

こんにちは。

気付いたら、5ヵ月以上も更新してなかったんだ(汗)。
自分では数ヶ月かと思ってたんですが(滝汗)。
書く事がなかったわけではないんですが、
毎日バタバタで疲れてしまい、更新する元気なし・・・。
トシには勝てません。

秋以降は、ホントに忙しかったです。
長女の幼稚園のPTA副会長やってるんですが、秋は行事が多い!
お遊戯会、運動会、さつまいも掘り、クリスマス会・・・。
その合間に月例会やら、イベント関係のミーティング。
今も、3月のお別れ会がらみのミーティングがしょっちゅうあります。
専業主婦のくせに、平日の日中はほとんど家にいないし、
あゆの入園グッズは「年内に全部作るぞ!」なんて張り切ってたくせに、
材料買って、ちょちょいっと布を裁断したっきり。
全く進んでおりません。
先月には、1年以上患っていた母方の祖母が永眠。
2泊3日で帰省。滋賀に着いたその足で葬祭場に行き、そのままお通夜。
夜遅く実家に戻り、お風呂入って寝て、翌朝は早くに母の実家に赴き、お葬式のお手伝い。
火葬場へのお骨拾いまで参加したので、結局その日も実家には戻ったのは夜。
さらにその翌日は、お葬式の朝に帰省した夫が午後から仕事のため、
これまた朝早くに実家を出発し、横浜の自宅へ。
子供達は、あまりのスピード展開に付いてゆけず・・・。
ただ、お葬式がどんなものか、「死ぬ」というのがどんなことなのか、漠然と理解したようです。
で、今、ガッツリ喪中なので、初詣も年賀状もなし。
特に喪中葉書を出したりしなかったので、昨夜、突貫工事で寒中見舞いを作りました。
明日からは、もえが3学期。
また忙しい日々が始まりそうです。
あ、ブログの更新、頑張ります・・。

灼熱の野毛山動物園 [お出かけ]

本日でもえの夏休みが終了。
その大半を滋賀の実家で過ごしてましたが、
先日、久々に家族4人でお出かけしてきました。
行き先は、もえのリクエストにより、動物園。
「暑いんだけど・・・行きたい?」ともえに何度確認しても、
「動物園がいい!」と断言するもえに押され、暑いの覚悟で行ってきました。
行き先は、野毛山動物園。
JR桜木町駅から徒歩でも行ける動物園です。
そして、この動物園の嬉しいところは、入場料が無料なところ!
ファミリーには有り難い♪
帽子、日焼け止め、ミネラルウォーター2本を持ち、いざ出発。
が・・・!
「暑いけど、どうにかなるさ!」な気持ちは、あっという間に萎えてしまいました。
原因は、桜木町駅から動物園まで続く、急な上り坂。
『野毛坂』と言うんですが、これがハンパなく長い。
あっちゅー間に汗だくです。
普段、歩くのに慣れているもえですら、ゼェハァ。
ミネラルウォーターもあっという間に飲み終えてしまいました。
やっと動物園に辿り着いたと思ったら、
動物達も暑さでずダルダル。
元気だったのは、プールをすいすい泳ぐペンギンと、
「ふれあい広場」のヒヨコ、ハツカネズミ、青大将(ヘビです)ぐらい。
昼時だったこともあるけど、お客さんも少なめ。
レッサーパンダもがぶり寄りで見ることができました。
とりあえず一通り見て、子供達は心ゆくまでモルモットやヒヨコと戯れ、
今度はバスで動物園をあとにしました。
ちょうど、日テレの24時間テレビの横浜会場が高島町の日産ギャラリーだったので、
バスを高島町で降り、生のガレッジセールと眞鍋かをりを見て、
ほんのちょびっとだけど募金してきました。

やっぱり、夏は動物園ではなく水族館がいいです。
(入場料、高いけど)
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